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亀岡山岳会(KAC) 
例 会 報 告


4月例会・報告   4月25日 快晴

丹後内山地区「高山」(702m)「柳平山」(679m)
 

参加者  L:上原、名倉、梅井、川村、川勝、山上、 礒松、杉本、林、山中、上原(し)


 雄踏の例会案内では「丹後 内山(ブナ林)」と案内のみで、山名のご案内が出来ていませんでしたが、丹後半島の最高峰「高山」とその東にある「柳平山」を目指した。「高山」は丹後半島の最高峰で中腹から山頂まで府内でも有数の美しいブナ林が点在する。幸い天気に恵まれ、快晴の空の下 11名の参加のもと、自然林の気持ちの良い山行となった。

 
 7時亀岡駅に集合、3台の車に分乗して出発、出発した頃は、丹波地方特有の霧があり、晴天の予感、途中コンビニで昼食を調達、和知ICから宮津天橋立ICまで京都縦貫自動車道を利用、和知ICまで延伸したおかげで、かなり時間短縮ができた。宮津市内を抜け、国道178号線を伊根方面へ、さらに府道53号線と655号線を通り大宮町五十河にある小町公園に着く。ガイドブックではここに車を置いて行くようにあったが、味土野宮津線の舗装路が続いているので、さらに車で進み、集落を抜け、道幅が狭小となり、普通車がやっと通れる程度、対向車が来たら・・・と思いなら、やがて谷筋の登りになりウネウネと登っていく。味土野への道と別れ右へ行くと未舗装の道となり少し行くと「ブナハウス内山」のログハウス風の建物に9時10分到着。ブナハウス横の空き地に駐車、ブナハウスには休憩室とトイレが完備されていた。


 準備して9時25分出発した。5分ほど登ると「内山集落跡」『資料引用=(内山地区は大宝年間(701〜704年)に高尾山妙法寺が建立され人々が住み始め、農業を営んでいました。しかし、16戸あった農家が昭和初期には7戸に、昭和10年には1戸になり、その1戸も昭和48年には下山、廃村となりました。)このような奥深い山地に人が本当に住んでおられたとは、現在の感覚ではとても考えられない所です。』と刻まれた石碑があって、駒倉峠と東谷ブナ林の分岐点となり、駒倉峠側から登ることとした。山道は広く、緩い登りが続き15分ほどで駒倉峠に着く。峠から鎖と固定ロープのある階段と、緩い登りの稜線歩き、登山道の両脇には山野草が可憐な花を咲かせて疲れを忘れさせてくれる、登山道は良く整備されている。また鎖と固定ロープのある階段となり東谷ブナ林からの道と合流する。 浅谷ブナ林への分岐を左へ行くと5分で高山山頂に着く。山頂にはベンチがあり、北側が開け眼下に世屋高原が広がる、金剛童子山や遠くには太鼓山の風車が望める。山頂から戻って道標「浅谷ブナ林へ」の稜線を少し進み右に下った地点に天然記念物、幹周り3.65m、樹高23mの府下最大の大ブナがある。記念写真を撮り稜線の道に戻る。途中右手の樹間から天橋立が望める所を過ぎアップダウンをして「柳平山」を目指す。「柳平679mへ300m」の標識を左折、道なき道を進みブッシュを漕ぎ柳平山山頂へ、笹の中に三角点があり、樹間から若狭湾と冠島が望める。分岐標識まで戻り近くの少し広くなった場所で昼食をとる。昼食後は高山入り口分岐迄往路を戻り、次の分岐から往路と別れ東谷の方へ、更に次の分岐から内山集落跡を経由してブナハウス内山に戻った。


 ブナの新緑を期待して行ったが、時期が少し早かったようで、まだ新芽が出ていなかった。しかし、そのおかげで、見晴らしが良く、気持ちの良い山行であった。 帰り道、小町公園に立ち寄りゆっくりして、無事帰宅。お疲れ様でした。

記:上原

コースタイム
ブナハウス内山(9:25)→集落跡(9:30)→駒倉峠(9:45)→高山山頂(10:15〜10:25)→大ブナ(10:35)→
柳平山(11:10)→昼食(11:25〜11:50)→高山入り口(12:10)→集落跡(12:40)→ブナハウス内山(12:45)