本文へスキップ
亀岡山岳会(KAC) 
例 会 報 告


12月例会・報告 平成25年12月22日(日)  天候 晴れ時々雨、霰、雪

三上山(近江富士)および繖山(観音寺山)〜〜 432mの二山に<つわものどもが夢のあと>を訪ねて
 

参加者 L;湯浅、大伴、山中、小沢


 10日前に例会案を参加者へ送付、中止の場合を記述していた。私は道路の凍結を心配していたが、亀岡の方々は、前日が終日雨で中止の電話があるかもと思っていたということを後で知った。ともあれ、8時に亀岡駅北口を出発、大伴号のタイヤは数日前に替え極めて快調、聞いた話によれば、亀岡―栗東は30分程ということだったが、渋滞もなかったのに実際は50分かかり御上神社駐車場に到着。地形図のコピーを配りコースの説明をし9時10分に出発、猪除けのゲートを開けて登山道に入った。最初から石段が続き防寒服を脱いでいると霰が降ってきた。やや楽になったが、頂上近くは岩が多くなり、濡れていたので、下りが大変だと思った。展望台からは小塩山が見える筈だが、眺望は良くなかった。そういえば、昔、私の先輩が、「大山崎から一瞬、近江富士が見える」といっておられたのを思い出した。約1時間で頂上に着いたが、木々の梢に雪が載っており寒かったので10分もいなかった。祠の近くに看板があり、「山に百足が巻いていたのを俵藤太が退治した」とあったが、「えー、大蛇違うのん」と山中さんがいった。私も昔、観光バスでそう聞いた。道が二つに分かれ我々の登ってきた表道は健脚向きで、一般向きの裏道を下ることにした。とはいえ結構岩があり、手すりも壊れている箇所があった。最後の分岐点が分かりにくかったが、植林帯をぬけ古い家並みを通って駐車場に着いた。

 
 次の目的地へ行くのに、私は新幹線をぬけ在来線に沿って走ると言ったのに、大伴号のナビは、「右です、右です」といい、新幹線をぬけたのに、また元の神社近くに戻り、やっと方向が定まった時に雨が強く降って来た。田園地帯にひときわ目立つ安土城考古博物館が見えてきた。「天皇さんの道を通ろう」と提案した。今上天皇が皇太子時代に、ここを訪れられる前に田圃の真ん中に立派な直線道路ができた。そこを通り博物館の駐車場に12時15分に着いた。空腹を感じたが、寒かったので博物館に入り無料スペースで休んだ。


 雨が止んだので桑実寺へ向かった。この寺は天智天皇の時代にできたそうで、下見の時長い石段にウンザリしたが、ともかく石段を登り切ってから昼食にしようと決めていた。山門を入るとインターホンが鳴って寺に到着すると300円を払うようになっている。石段の途中で男性陣がバテ出したが、小沢さんがスイスイ登り、山中さんも負けじと後に続いた。(この石段はのちに調べると500段だった)12時50分に寺に着き、本堂の軒下で昼食を摂った。檜皮葺の本堂は室町時代のもので重厚感があった。その横に紅い実を付けた木があった。別の門をぬけ、また山道を登り観音寺城跡に着くと花の盛は過ぎていたが山茶花の大木が多くあった。


 2時15分に西国32番札所観音正寺到着。この寺は約20年前に焼失したが、修復の折に横の山肌が崩れてこないように巨岩を積み上げ、人工の池を創りなかなかの庭園だった。登ってきた道を少し戻り三角点を目指した。そこは眺望がよく近江富士も見えた。石仏群を通り、裏白とユズリハの群落があり、時間が遅くなってきたので、「安土はどうするか」と聞いたところ「行く」となったので、信長の野望の安土城址へ向かった(彼はここにわずか3年しかいなかった)3時50分に城址下に着いたが、もう見学の時間はなく、考古博物館の駐車場に戻ったのは4時30分だった。

運転が大伴さん一人で大変でしたが、何とか予定した二山に登れました。

記 : 湯浅