蓼科山(2530m)、車山(1925m)
そして筑波山(877m) 2014年「夏の思い出」 湯浅 博
7月に第12回坂口登山フェスティバルに参加し、投稿すべく下書きをしていたが、気がつけば第242号がメールで送られてきた。9月に入りやっとペンを執る気になった。
7月3日(木)朝、京都出発。キリマンジャロ以来の友人、埼玉の清水氏宅に宿泊。
7月4日(金)清水氏の車で関越、上信越自動車道を走り、松代の大本営地下壕を見学。象山(佐久間象山は、この山から号をとった)の地下に、昭和19年11月から建設が始められ政府機関や皇居も移す計画だったそうで、この地が選ばれたのは、「信州」が「神州」に通ずるということからだそうです。雨が強くなった5時前に横谷(よこや)温泉に到着。まず温泉に入った。渓谷沿いの露天風呂が野趣に溢れていた。6時から夕食、懇親会があり高山病の権威、中島先生に前回の会から2年振りにお会いした。83歳になられたが矍鑠(かくしゃく)としておられた。何よりもスタッフの塚田氏とは29年振りの再会だった。彼は私の学校の登山学校のガイドをしていただいて、白馬、槍、穂高と山行を共にし、彼の家に泊めていただいて以来だった。その夜は、群馬山岳会の二人と同室で、彼等は毎年「干支の名前」の付く山に登っていて、来年は京都の羊のつく山も行きたいとのことでした。
7月5日(土)雨、A班に参加して8時に7合目から蓼科へ登った。30分毎に休憩を取ったが傾斜がかなり急で苦しかった。2時間半でピークに到着。以前登った時の岩だらけの広いピークを思い出した。360度の眺望ということだったが、ガスで何も見えなかった。少し下の小屋でランチを食べ、往路とは別の道を下った。佐久市最高地点を経て大河原峠に到着。昨夜再会した塚田氏と昔のメンバーについて話をした。2時過ぎにバスで峠を出発し、萌え黄色のアカシアの並木を抜けると白樺湖畔の宿舎だった。露天風呂へ行くと目の前に白樺の木立があった。今夜は、広島山岳会の二人と同室で、彼等はおつまみ持参で、白州のサントリーで買ってきたウイスキーをいただき、すっかり機嫌よくなり、5時からの大蔵隊長の「マッキンリーの講演会」に行けなくなった。夕食、懇親会は前夜より盛り上がった。8時から前夜に続いて、歌声の集いがあったが、同室の人が「穂高よさらば」を歌いたいというので参加した。最初は少し参加者が少なかったので、場つなぎに山口山岳会の武永氏と「昴」を合唱した。彼は、2年前に「親子でアコンカグア」の講演をした人だった。その後、中島先生、坂口会長も加わられ賑やかになった。
7月6日(日)曇のち晴、車山のスタート地点に大八車の車輪、坂口会長88歳を先頭に80代のグループが約2時間半をノンスットプで歩行、ニッコウキスゲがチラホラ、蝶を採る人々に遭遇。11時過ぎにホテル着。ノンアルコールでお別れ会。
来年は、7月10日(金)〜、南アルプス仙丈ヶ岳(3032m)とのこと。
7月7日(月)雨、埼玉から筑波山(雄山、雌山)へ877m。