奥比叡の水井山(794m)横高山(767m)
天候;抜けるような青空、リーダー;湯浅 博
参加者;上原、杉本、庄田、山中、堀井、小澤、岡本。合計8名
集合場所に8時20分に着くと、庄田さんが4月から加入されるという岡本さんと待っておられた。久し振りの再会で、「八瀬までの切符を買って」といい、その後上原さんが「女性陣は京都バスの乗り場にいる」と知らせにきてくださった。料金の点で電車かバスか分かれたが私の思い出と縁のある八瀬を経由して電車で行くことにした。
予定通り8:37に乗り8:51に八瀬に着いた。3分ほど歩き京都バス八瀬停留所で待っていると、予定より早くバスが来て9:15に戸寺で下車した。気温の表示はマイナス1度で鯖街道を速く歩き庄田さんが「速い」と叫んだ。9:30に惟喬親王(844〜897)の墓の石柱で地形図(2.5万分の1「大原」)のコピーを配り、悲運の親王の話をした。
親王は文徳天皇の第一皇子であったが母親が紀氏、後に藤原氏の娘が親王を産んだため皇位に就けず、雲ケ畑で桟敷を組んで都を懐かしんだり(桟敷ケ岳)、出家して大原に隠棲した。大原にあの在原業平(平城天皇の孫、彼の妻が親王と従姉弟)が訪れ、お互いの悲運を語り合ったという平安初期のことでした。お墓にお参りし墓前で簡単な自己紹介をしてもらった。
鹿垣の扉を開け山道に入り、仰木峠までは杉林の中をひたすら登り峠の手前で三千院からの東海自然歩道と合流し、完全な雪道を歩き10:30に573mの峠に着いた(昔から近江と大原の交流の道で、花嫁もここを越えたという説明板があった)。30分ほど休憩し植林地の道に入り琵琶湖側を見た。真下に琵琶湖大橋が見え、右手に近江富士、橋の向こうに近江八幡の鶴翼山、その奥に鈴鹿連峰、左手奥には冠雪した伊吹山、皆眺望を楽しみ名残惜しそうに水井山に向かった。
いくつかのピークを越えるたびに雪が深くなり栂と思われる大木の間をぬけ、なかなか頂上に達せず馬酔木の群落の雪道で一息入れ、12時に水井山に着いた。
ここで昼食と思われた人もあったが急坂を下り約30分で横高山に達し昼食にした。
周囲は落葉樹の林で、さぞや新緑や紅葉の折にはいかばかりかと話し約40分休憩し下山することにした。ついにアイゼンは着けず、また急な斜面であったが南向きであったので全く雪はなく、左下に奥比叡ドライブウエーがみえた。下りきると三叉路になり左は横川中堂へ(下見の時はここを行ったが、途中で道を見失いドライブウエーを歩き、パトロールの車に見つかり猿や鹿が多く危険ということで乗せてもらった)。真っ直ぐに行けば玉体杉を経て根本中堂へ、我々は右の道をとった。
しっかりした標識があったが、岩と落ち葉の多い悪路であった。北向き斜面には雪が残り途中椿の群落があり花が咲いていた。2:40登山口バス停に到着、ここで解散とした。終始天候に恵まれ快適であった。大部分が国際会館行のバスに乗った。