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亀岡山岳会(KAC) 
個 人 山 行 報 告


個人山行報告 2022年4月20日(水) 天候:快晴

  金山(530m)金山城址
     猪ノ口山(356m)黒井城址

 

参加者  L:川村、名倉、梅井、上原、大伴、岡本


 今日は二十四節気で春の最後の「穀雨」。此の時期は昼夜の温度差が激しい。朝の出発時には一桁の気温が猪ノ口山山頂で23℃まで上昇した、それに素晴らしく快晴である。春霞があるも抜けるような青空と、心地よい爽やかな春風と・・・。正しく「春風駘蕩」長閑(ノドカ)な山行となった。春の無聊(ブリョウ)を持て余す山男が6名、JA横のセブンイレブン余部店前に集合し車2台で出発した。国道372号線篠山街道を西に向かう。途中ローソン篠山八上下店にてトイレ休憩を取る。県道306号線から舞鶴若狭自動車の「丹南篠山口IC」を右に見て国道176号線に入る。
 
 其の後9時25分追入(オイレ)地区表示のある金山登山口第一駐車場に到着した。広い駐車スペースに車は無く貸切状態である。各自準備を整え9時40分登山を開始する。
 
 舗装路を進む。最初に眼にするのは、伊能忠敬が測量を実施したと云う案内の石碑が建つ、文化11年(1814年)2月朔日(ツイタチ)頃から、此の辺り笹山(ササヤマ)領追入村に滞在し天体観測も行っていた。
 
 間も無く追入神社がある。村社(ムラシャ)とあるが相当歴史のある佇まいである。奥には色々な彫刻が施された社殿があり、春日造(ヅクリ)かと思われる。
 
 子ども三番叟(サンバソウ)が奉納されるとの案内板もあった。登山道を確認するためと、今回の登山の安全を期して参拝した。もう少し進むと金山城址登山道の案内がある。

 
 金山城址は、多紀郡(丹波篠山市)と氷上郡(丹波市)の境に位置する。その昔(天正3年(1575)から)織田信長の命を受けた明智光秀が、何度もの丹波攻めをした。その様相を今に伝える遺跡として貴重な城址である。登山口の燈籠に「愛宕山」の刻みがあった。

 ここから山道に入る。登り始めて直ぐに椋(ムク)?の大木がある。木の下で写真を撮るが、誰もがスマートに見える程の太さがある。登山道は赤土と岩盤が剥き出しになって、雨期には川となるような道をジグザグ登る。
 
 間も無く、鐘楼のあるお堂に到着する。静謐(セイヒツ)な雰囲気の中の庵で、釣鐘には「赤坂山観音堂」との刻印があるが?棕櫚(シュロ)の撞棒を一撞き!二撞き!!ゴォ〜〜ン♪〜〜ン〜〜ン♪♪、少し高い澄んだ軽やかな音色が響く。続く余韻に有難〜〜いと思う者もあった。色々写真に収めた後、登山道に戻る。
 
 小葉の三葉躑躅(コバノミツバツツジ)がチラホラと見られるが、殆ど花を落していて最盛期は過ぎたようである。花を付けていない馬酔木(アセビ)も多く見られた。

 
 100m毎に頂上本丸までの距離表示がある。石の鳥居を潜(クグ)り800mを過ぎたところで「大乗寺」への分岐がある。

 ここからは、下の大山荘(邑落(ユウラク))を望むことが出来る。一息入れた後進むと、再び「大乗寺」への分岐に出た。
 
 あらゆる表示板に「鬼の架橋」への案内が見受けられる。可成の期待がかかる。
 
 更に進むと広く開けたところに辿り着く。苔むした石垣と3mほどの「南無妙法蓮華経」と刻まれた石塔が建つ、新緑モミジの若葉枝が垂れ下がり鶸萌黄色(ヒワモエギイロ)の緑が日射しに眩(マバユ)い。ここは山頂近くにあった、日蓮宗円光寺の末寺で園林寺(エンリンジ)跡である。大正時代には尼寺となり、近くにある大岩壁の瀧に打たれる厳しい修業が称(タタ)えられた。又、昭和の始め頃まで、境内で毎年盆踊りが催され、村中の若者たちで賑わい、麓からの登山道は、提灯(チョウチン)が灯されて美しい夜景だったようである。往時が偲ばれる。
 
 小休止の後、登山道を進む。広い穏やかな尾根道に金山城馬場跡が今も残る。山中でも馬を鍛えた訓練跡である。
 
 更に登ると(右)瓶割峠・トンネル方面へ(左)鬼の架橋へとの分岐に着くが、100m表示のある金山城ピークに向けて直進する。
 
 間も無く大きな岩がゴロゴロ覗く見晴らしのいい開けたピークに辿り着く。尖(トンガ)り岩を「槍ヶ岳」に見立てて写真を撮る。
 
 その岩場には日陰躑躅(ヒカゲツツジ)が淡い黄色の花を満開にしている。谷側に目をやると、これの群生が見られた。この辺りの山域には日陰躑躅が多いと聞く。旨く開花期に出会うことが出来た。

 そこから頂上本丸に向う。徐々に、何度も案内表示のあった「鬼の架橋」の巨大な岩塊が見えてくる。10時55分金山城本丸跡山頂に到着した。

 
 眺めが素晴らしい。東西南北、春霞があるも、遠くの山々まで見渡すことが出来る。山頂から少し南側へ下山した所が「鬼の架橋」である。谷側へ突き出した巨大な岩や、文字どおり架け橋状態の奇岩が現れる。

 谷側は数十メートル程切れ落ちていて巨岩壁には、古くに打ち込まれて錆びたハーケンが残っている。
 
 岩に攀(ヨ)じ登ったり奇岩を踏み締め飛び上がってみたり・・・、少し遊ばせて頂いた。この辺りにも日陰躑躅が見られる。野生の木苺も白い花を咲かせている。本丸跡頂上へ戻り11時20分昼食とする。登攀時には、殆んど出会いが無かったが、頂上には3〜4名の登山者があった。
 
 11時55分昼食を終え下山を開始する。鐘ヶ坂峠方面への別ルートに向う。急坂が暫く続き足元に注意を払い慎重に進む。間も無く分岐点に辿り着く、(左)は、明治・昭和・平成のトンネル口へ通じ鐘ヶ坂公園方面へ向うが、右側の巻道から下山する。ジグザグ続く間伐の行き届いた杉林の登山道である。
 
 程無く、駐車場脇に見えていた黄色い屋根の建物(廃業したレストランだった)が見え舗装路へ出る。12時35分無事下山した。この駐車場は下に平成トンネルが出来たために「この先行き止まり」の道路となり出来上がった解放スペースであった。


 次に「黒井城址」へ向う。国道176号線鐘ヶ坂トンネルを抜けると丹波市に入る。JR福知山線が並行している。柏原(カイバラ)駅前を通過、沿道に花期は終わっているが、桜並木が延々と続いていた。黒井の町に入る手前から、黒井城址の猪ノ口山が望める。城下の町らしく狭い道路が山際まで入り組んでいる。13時15分春日局(カスガノツボネ)庵下の駐車場に到着した。準備を済ませ出発する。
 
 大梅山興禅寺は春日局生誕の地である。前を通り黒井小学校脇を通り登山口へ向う。校庭隅の藤棚には早くも白と紫の房を垂らしていた。

 石碑の建つ登山口にて記念撮影を終え射干(シャガ)の花が咲く「ゆるやかコース」から13時27分登り始めるが、これが中々緩やかでは無い。行き成りの急坂に息が上がる。少しだが小葉の三葉躑躅(コバノミツバツツジ)も山桜も花を付けている。
 
 途中休憩のところで、二本の枝が一本に繋がる連理状態の木に注連縄(シメナワ)が掛っていた。水分を補給し汗を拭う。七合目あたりまで登ると、敵の進攻に備えた大きな構えの「石踏の段」に到着する。
 
 ここも新緑モミジの若葉が爽やかに戦(ソヨ)ぐ、上溝桜(ウワミズザクラ)も白い穂先を揺らしていた。ここから黒井の町並みが見渡せる。気分爽快で暫く休憩を取る。14時00分再出発すると、すぐに本丸まで200mの標識がある。
 
 段々と高度を上げ獣除け柵を潜ると木々も無くなり開けた道に「東曲輪」の石垣が迫る。
 
 三の丸・二の丸跡と続き、本丸跡猪ノ口山山頂に14時17分到着した。

 天正7年(1579)8月、堅固な黒井城も、丹波平定を急ぐ明智光秀の軍勢の前に落城した。ここからは、360度遮るもの無く見渡せる。眺望が素晴らしい。周りの山々や町並み、田園風景、高速道路の春日IC入口などが望める。記念撮影と景色を満喫したのち、14時30分下山する。

 「石踏の段」まで下り別ルート、左側へ「急坂コース」を降りる。途中休憩を取り15時丁度登り口へ下山する。興禅寺まで戻る。この寺は、黒井城の下館(シモヤカタ)陣屋として明智光秀の重臣斉藤利三が、戦いの後丹波一円の治安にあたった。亀山城から妻お安(アン)と子供たちを呼び寄せ、お福(後の春日局)が生まれる。徳川三代、家光の乳母を努めるなど、大奥の実権を握るのはご存知のとおりで、亀岡にも縁の深いところである。頂上から望めた、春日ICから高速道に入り丹南篠山ICを出て一般道へ、元来たコースを帰る。コンビニローソン篠山八上下店にて休憩し、清算の後16時丁度ここで解散とした。
 今回は、城址二座を探訪し、歴史に触れる登山であったが、合わせると標高差600mとなり、ベテラン登山家?にとっては、それなりの山行であった。お疲れ様でした。

<<コースタイム>>
◆本丸跡金山「城址城址」
登山口(追入神社)9:50→赤坂山観音堂9:58→園林時跡10:35→金山城址本丸(山頂)10:55→鬼の架橋11:05→11:20山頂(昼食)11:55→(鐘ヶ坂峠登山道)→登山口12:35
◆本丸跡猪ノ口山「黒井城跡」
春日局庵下の駐車場13:15→ゆるやかコース登山口13:27→分岐13:55→14:17(着)本丸跡猪ノ口山山頂(発)14:30→急坂コース登山口15:00

記:岡本