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亀岡山岳会(KAC) 
個 人 山 行 報 告


個人山行報告 2023年12月13日(水) 天候:快晴

丹波篠山 八上城址 高城山(459m)
亀岡・神前(南丹・八木)八木城址 城山(350m)

 

参加者  L:小澤、川村、梅井、上原、大伴、岡本、守山、吉田


 美空ひばりの♪旅笠道中?をご存知だろうか?今日は、そんな片雲(ヘンウン)がぽっかり浮かんでいる。穏やかな快晴に恵まれた。サンスポーツ駐車場へ午前8時に集合し車2台で出発した。

 372号線篠山街道の八上上地区から一筋南の旧道に入り、骨董屋國宝堂の隣にある八上城跡専用無料駐車場に9時丁度に到着した。

 国史跡八上城跡の説明や登山コースの掲示がある。丹波篠山五十三次の場所でもある。
 
 高城山へは5つの登山コースがあり今回は右衛門(丸)コース1200mから登り、藤木坂コース1100mを下る。市制が丹波篠山市に改正され、2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」のロケ地予想があり、2019年地元丹波篠山職人会の活動により、高城山は、危険木伐採や案内板を制作する等整備された。
 
 登山口には、トイレも設置されている。春日神社脇から9時08分登り始める。最初に大きな苔石燈籠がある。
 
 杉木立の広い台地は、落城後政治の舞台となった主膳屋敷跡である。ここから山腹の北側をジグザグに登る。登城に向けた山道は、三の丸跡手前までずう〜〜っと階段が整備されていて、登り易いが足は懈(ダル)い。
 
 頂上まで750m約30分地点の番所跡「鴻の巣」にて9時21分少し休憩を入れる。
 
 ここからは西の方角に篠山の城下が望める。次に進む下・上の茶屋丸と共に西からの敵に備えた陣地跡である。
 
 中の壇を過ぎると城主の屋敷跡でコース名にもなっている、右衛門丸跡がある。城主波多野秀治在城時には、総指揮をとり采配を奮ったところでもある。藪椿(ヤブツバキ)が紅い花をつけていた。三の丸・二の丸跡を過ぎると視界が広がる。
 
 今日はもう「事始(コトハジ)め」なのに予報では、気温が15〜16度にもなるという。真っ青な空に白い雲が浮かんでいて、初冬とは思えぬ温かさで汗が滲む。間も無く本丸跡があり高城山の頂上に9時50分辿り着いた。

 
 波多野秀治公表忠碑が建つ囲いには、枯れ芒(カレススキ)が揺れる。八上城は、戦国時代、多紀郡を支配した波多野氏の居城。天正7年(1579)織田信長の丹波攻略の一環として、明智光秀による兵糧攻めにより、八上城は落城し波多野氏は滅亡した。慶長14年(1609)の篠山城築城により八上城は廃城となったが、中世山城の典型的な姿を留めていて、戦国領主の支配拠点の様相を現在に伝える史跡として重要なところである。


 晴れ渡る北の方角の先には、西ヶ嶽・三嶽・小金ヶ嶽の山々が望める。暫く景色を堪能し記念写真の後10時10分下山する。南西の方向「朝路池・野々垣市の谷コース」へ向かう。下山口には、矢竹が群生していた。篠山の地名もこのあたりから来ているかも知れない。
 
 蔵屋敷跡池東番所を過ぎ10時18分藤木坂コースとの分岐に至る。少し下った薄暗い木立の中、崖下の倒木に滑茸(ナメタケ)が密生しているのを見つけた。「滑子(ナメコ)」と思われるが・・・。少し勇気のあるものが、翌日には、相手の様子を伺いながら舌鼓を打ったようである。

 
 「はりつけ松」跡、「茶屋の壇」を過ぎる辺りは緩やかな尾根道が続く「馬駈場」跡附近は、それなりの穏やかな尾根道で、馬を走らせも出来ると思われた。その先の「芥丸」砦跡は東方面の防備に当たった場所である。ここで少し休憩を入れた。
 
 ここから谷筋を下ると対岸奥に古刹の屋根が見え、獣柵を潜(クグ)ると「藤之木坂道登山口」へ出た。旧アスファルト道を進み、一里塚を過ぎれば登山口駐車場へ11時10分無事下山した。


 昼食時には未だ早い時間である。そこでもう一座登ることとし、八木城址「城山」へ向かう、372号線篠山街道を戻る。宮前町宮川の交差点から府道452号線に入り、亀岡市交流センター(チョロギ村)駐車場に11時55分到着する。
 
 11月29日(水)に来た時には、建物周囲にあるメタセコイア(アケボノスギ)の紅葉が青空に映え素晴らしい眺めであったが、今はもうすっかり葉を落としていた。陽射しがぽかぽかと暖かい、テニスコート横の休憩場所に集まって昼食タイムとする。
 
 ゆっくり歓談の後、森のステーションかめおか交流会館脇の薬草原(ヤクソウゲン)から12時45分登山を開始する。テント横では学生か?B・Qからの良い香りが漂っていた。
 
 建物裏の段々を昇り詰めると遊歩道に入る。八木城本丸跡まで1000mの獣柵を潜り砂防堤手前を右へ折れ山道を登る。「昼休みに展望台まで行って来ました!」と軽装の方に出会う。
 
 登山道はよく整備されていて枝葉は刈り込まれている。神前地区の村落が望め、行者山(431m)が迫る。赤松落葉の緩やかな山道が続き、本丸跡まで700m表示を過ぎると赤く塗られた道標碑があり13時04分展望台に辿り着く。

 ここからの展望では比叡山・愛宕山・地蔵山等、遠くの山々を望むことが出来た。

 展望台に昇り暫く休憩を入れて景色を堪能する。その後穏やかな稜線を進むと、本丸跡まで500mで350mの最高地点に到着する。ここにも赤く塗られた道標碑が建っている。さらに五合目表示板を通り過ぎると三度(ミタビ)道標碑のある分岐地点に差し掛かる。[九坤(ヒツジサル)神前村]と読み取ることが出来た。(坤は十二支方位で西南の方角)分岐を右へ山腹を進む。

 
 間も無く曲輪跡と思われる段々のある山道を進むと段差のあるところが9合目で、西山墓地登山口からの西廻りコースと合流する。二の丸跡を過ぎれば直ぐに本丸跡に辿り着く、13時32分城山山頂に到着した。西側下に僅かに石垣組の形跡が認められる。
 八木城は丹波國内では、八上城と黒井城と並んで三大城郭のひとつと云われている。丹波守護代内藤氏の居城でありキリシタン武将としての内藤如安(ナイトウジョアン)は有名である。城は明智光秀の丹波侵攻により没落した。石垣・土塁が周囲を囲み、城郭は持たず門の上に櫓を挙げて防備を固めた、東西25m・南北18mの内藤備前守の屋敷跡である。金の間と呼ばれる櫓台跡も残されている。
 
 光秀勝鬨(カチドキ)岩と呼ばれる大きな岩塊が少し下った北側の山腹に突出している。勿論、乗りのいい皆で揃って勝鬨をオーッ!!と上げたのは、言うまでもない。

 吹き流しが垂れている。風が無く暖かい。三郎ヶ岳・愛宕山・牛松山・亀岡市役所のビルまでも望むことが出来る。

 本丸跡に戻り記念写真の後13時53分下山する。来た道を戻るが、神前峠表示のある分岐から、右に折れピークを越えるコースを辿る。崖道を登り洞穴のあるところから左に折れ、羊歯が群生する原を進むと赤い道標碑のある分岐に合流する。展望台のところで少し休憩し尾根筋を下る。山腹を進み獣柵を通り14時42分交流センター駐車場に無事下山した。
 身仕度を済ませ精算の後帰路につく。お疲れ様でした。
・今回は2月例会の下見を兼ねた登山で、図らずも、山城跡2座を登り歴史に触れる山行となった。篠山方面を通過する山行時には、いつも八上下にある中継地であるコンビニから見上げていた高城山が【済】となった。

<<コースタイム>>
◆高城山(八上城址)
登山口駐車場9:08→鴻の巣9:21→下の茶屋丸9:28→上の茶屋丸9:34→右衛門丸跡9:47→9:50山頂「本丸跡」10:10→はりつけ松跡10:28→芥丸跡10:35→藤之木坂道登山口11:00→駐車場11:10
◆城山(八木城址)
交流センター12:45→展望台13:04→五合目13:20→本丸跡13:32→勝鬨岩13:38→本丸跡13:53→五合目14:16→展望台14:30→交流センター14:42

記:岡本