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亀岡山岳会(KAC) 
例 会 報 告


1月例会報告 2024年1月23日(火)天候:晴れ、寒冷

醍醐山(454m) 京都市伏見区
 

参加者  L:湯浅。岡本、西澤


 9時の定刻前に醍醐駅に集合し、だらだら坂を上り外環状線手前まで来ると左前方に円い形の高塚山が見えてきた。

 奈良街道を渡ると醍醐寺の総門に着き、そこにおられた婦人にシャッターを押してもらい早速記念写真。
 
 中に入ると広い砂利道の両側は桜並木だった。突き当りの仁王門を右折れしそこも桜並木で、さぞや花の頃は美しいだろうと言いながら左折れし、木々の間から左手に五重の塔が望まれた。

 この塔は国宝で平安時代の天暦6(952)年に竣工し兵火を免れた唯一の創建当初のもので、京都市内現存最古の建築物で高さ47mあり以前は自由に間近で見られた。先ほどの仁王門で千円を払わないと中には入れない。


 大講堂を背景に散歩中の男性にシャッターを押してもらう。そうこうしていると女人堂に到着した。ここを右に行くと表参道で入山料600円、左を巻いて行くと無料である。我々は左を登って行った。岡本氏がぐんぐんペースをあげて野草を求めて歩き出した。西澤さんと私は人生を急いでいないのでゆっくり歩いた。

 
 この登山道の前半は道の片側が浸食され溝になり歩きにくかった。標識は石柱と赤で書いた看板がぶらさげてあった。両側は裏白の群落だった。
 
 この山は当山岳会では平成27(2015)年2月15日(日)に私がリーダーを務め10名で例会を実行している。その時のメンバーは今回誰もいなかった。半ば過ぎより道が平坦になり左前方に紅く色づいた木が目につきもう一本現れた。今頃紅葉でもあるまいし私は以前逢坂の関付近で見た紅い実のなる木ではないかと判断した。峠に近づくと朴の木の枯葉が多く落ちていた。西澤さんがスマートフォンで検索され、「この道からも上醍醐に行けますよ」と言われましたが、私は昨年11月に二度下見に来ていたので、「峠まで行きましょう」と答えました。
 
 峠の直前で岡本氏に追いつき、彼は「あんまり遅いのでケルンを造っていた」といいましたが、20個は積まれていなかったと見ました。
 
 横嶺峠の地蔵堂にお参りして記念写真を撮り、標識のない上醍醐への細い道を辿りました。

 下見の時には見落とした三角点の小さな標識が見つかり、厳重な柵の僅かな間を抜け五大堂へ着きました。

 そこには寺の関係のスリムな男性が蝋燭を点けに来ておられ、彼にシャッターを押してもらいました。私はこの堂の前で毎年2月23日に五大力さんがあるのだと思っていましたが、先の男性の話だと別の場所だということでした。

 開山堂で昼食と思ったのですが寒くて諦め、さりとて白河天皇の皇后陵の前ではということになり、もう一度横嶺峠に戻るのを止めて表参道を下山しました。こうなれば醍醐寺発祥の地の上醍醐の史跡を見学しようということになりました。

 
 聖宝(しょうぼう)は修験道の霊地を求めて都の巽に五色の雲のたなびく笠取山に至り貞観16(874)年に山頂に草庵をつくり如意輪、准胝(じゅんてい)の両観音様を安置。
 
 聖宝が山の水辺で休憩していると山の神(横尾明神)が現れ水を飲み「醍醐味なるかな」といい、聖宝もまた水を飲み「醍醐の妙味」と賞したのが醍醐の名の始まりで、山の名前も笠取から醍醐に改められた。その後貞観18(876)年に建立された如意輪堂(国宝)と准胝堂(じゅんていどう)を拝観し、醍醐水の湧出する神社で、まろやかなご神水を賞味し、やっと1時前に不動の滝で昼食となりました。滝は昨年より渇水で流水はなかった。2時に女人堂にもどり入山料600円を納め仁王門前で解散して各自自由行動をした。

<<コースタイム>>
醍醐駅 9時集合⇒醍醐寺総門 9:15⇒仁王門⇒女人堂 9:40⇒
横嶺峠 10:55⇒上醍醐11:30⇒五大堂、開山堂、皇后陵 12:30⇒
如意輪堂、准胝堂、醍醐水 1:00⇒不動の滝、昼食 1:30⇒
女人堂 2:00⇒仁王門 2:15、解散

記:湯浅