雪の 愛宕山(924m)
参加者 L:上原、岡本
愛宕山と名の付く山は全国に111座、京都府内にも他に4座があり、全国同名山第3位である。(因みに1位は城山276座)都(ミヤコ)の戌亥(乾)の方角に位置する愛宕山が本家である。これに対して、丑寅(艮)の方向にあるのが比叡山で、どちらも守るべき方位とされた。山頂には、火伏の神(迦遇槌命)を祀る愛宕神社があり、愛宕神社は全国に800社を超えると云う。関西を中心に「愛宕講」が多く組織されていた。『伊勢へ七度、熊野へ三度、愛宕さんへは月参り』と唄われて信仰を集めている。今も地元町内彼方此方(アチコチ)の辻に「愛宕山常夜燈」燈籠を見掛けることも多い。 前夜に天候を気に掛け、東のみすぎ山山上を見上げる。望(モチヅキ)は26日で月齢17.6だが、蟾兎(セント)は見られなかった。JR亀岡駅9:01発の普通列車で保津峡駅に向い9:10出発の水尾自治会バスに乗り込む。乗客は他に女性が(登山客か?)一人乗り合わせて3名の乗車である、料金は300円で50円値上げされていた。約4kmを10分で進む。
9時20分愛宕神社までが3.5kmの地点の嵯峨水尾武蔵嶋町の女坂とも云われる裏参道登山口に到着した。身仕度を整え登山を開始する。いつもながら、行き成りの急坂で息が上がる。水尾簡易水道浄水場までイッキに登り詰め小休止とする。
ここから左へ登山口参道に入る。水尾は昔、山城と丹波を結ぶ要所にあたり、早くから開けていた。源氏の祖先、清和天皇の終焉の地でもあり、近くに御陵がある。「柚子」が特産品で、山畑には手付かずになった黄色い実が多く残っていた。 水尾の里案内板を通り過ぎ、100m毎の標示板や皇陵巡拝碑を過ぎると、間も無く「行き止まり」標示のある分岐に差しかかる。少し休憩の後、裏参道から外れ4月に通行経験済みの「行き止まり」方向へ向かう。 雲が多い天気だが時折青空が見える。歩き易い登山道を黙々と進む。「第一ベンチ」が設置されている辺りから、少し雪が積もっている。カサカサと落葉の積った登山道を進み、10時15分「第二ベンチ」付近の山の斜面は、雪に覆われてくる。登山道の地面も見えなくなって来て、バリバリ・ガシガシとの足音に変って来た。 「第三ベンチ」の手前付近でアイゼンを装着することとした。10〜15cm程の積雪がある。 杉・桧の根が張りジグザクとした九十九折りの急坂道には、アイゼンが良く効く。サクサク・キュッキュッと足音が小気味よく只管(ヒタスラ)登り続ける。気温は氷点くらいか?低いようだが汗が滲む。正月以降の運動不足が祟り、気持ちは進むが足が追い付かない。 ゼイゼイと息を荒げながら登り詰め、11時08分表参道と合流する。平日の月末前だが、多くの登山客がある。見渡せば抜群の雪景色である。杉の古木が雪の重みで大きく撓み、川瀬巴水の芝増上寺を思い起こす。 参道に居並ぶ燈籠群、雪枝にしがみ付き揺れる朱い烏瓜(カラスウリ)、軒下に勢揃いする氷柱(ツララ)達、 木立から垣間見る紺碧の穹天・朱塗り鳥居の稲荷社、欅に咲いた雪華、云々・・・・。此(コレ)を見たくて登って来た。大満足である。 他の登山者を掴まえては二人写真を頼み込む。石段を登り詰め、アイゼンを外し11時27分総本宮に到着した。 本殿を参拝しご朱印を頂く。暖かい休憩所にて少し休み、昼食は石段下の休憩所で摂ることにして下山する。気温は丁度0度であった。11時50分昼食タイムとする。 ゆっくり休んだ後12時20分アイゼンを着け下山を開始する。下山コースの選定に思案しながら、水尾分岐まで表参道を進むこととした。 黒門付近からは積雪が疎らになってきて、地肌が覗くところも出てくるが、脇には未だ多く積もっている。 亀岡方面が望める木立の間からはスタジアムがハッキリと確認出来る。「ハナ売場」小屋を過ぎ、水尾・清滝の分岐には12時55分到着した。 水尾わかれ休憩所にてアイゼンを外し少し休憩する。検討の末、久し振りに表参道を下ることとした。13時05分躑躅尾根わかれを通過する辺りから、可成り雪が少なくなってきて泥々道が少し続く。「カワラケ投げ」三十二丁碑を通り過ぎると京都市内を望める地点がある。雲は多いが青空の先に、東山方面か?南部の山々が霞んでいた。
さらに進むと、稲荷社だったか?大木が倒れていて社が潰れている。以前は神域にて入り込むことが出来なかった山際まで立ち入り、尾根向うの月輪寺の建物を伺うことが出来る。 三十丁目にある水口屋跡は、丁度五合目の休憩所となっている。ここから下山約60分、山頂まで約80分の地点である。下って来る程温度が上がる、上着を一枚脱ぎ少し休憩をとる。参道に雪は無くなり乾いた道となって来る。 二十五丁目なかや跡の休憩所では、5℃を差していた。 表参道には丁石(町石)があり、鳥居本の一の鳥居を起点として50丁(約5.5km)と言われている。参道沿いに種(梵)字と里程の入った板碑型と光背部分に里程の示された地蔵型の二種類があって、愛宕神を崇敬し日々お参りをしていた、東条道西が建てたとある。この人物は、亀岡市馬路町の出身である。 十七丁目まで下ると清滝社火燧権現跡がある。ここは火の神「火産霊命」を祀っていた、昔は、朱塗の社があって火事と深く関わりのある社であったが、現在は燧神社として別に移されているが・・・、背後の杉の大木には落雷の焦げ目が痛々しい。 水場を過ぎると過去にあった愛宕山鉄道のケーブル跡が現われ、道は急なコンクリート道に変わる。苔蒸していて滑りそうな急坂を下ると民家が出てくる。 自治会倉庫を過ぎれば、二の鳥居が見え、表参道登山口に14時25分無事下山した。(一度転ぶ -。-) 清滝川を渡り駐車場横からバス停へ向かう、満席になる程の下山客の待ち合いがある。少し待って、「野々宮」まで乗車する。嵐山周辺は、流石に天下の景勝地であり、多勢の人々が行き交っていた。JR嵯峨嵐山駅へ向かう。15時12分到着。 ここで解散とした。快速に乗車し帰路についた。
<<コースタイム>> 水尾登山口9:20→行き止まり分かれ9:40→第二ベンチ10:15→表参道合流11:08→本殿参拝11:27→11:50石段下休憩所昼食12:20→黒門辺り12:33→水尾分かれ12:55→清滝・躑躅尾根分かれ13:05→30丁目水口屋跡五合目13:27→25丁目地跡13:45→17丁目火燧権現跡14:12→二の鳥居14:25→清滝バス停14:35
記:岡本