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亀岡山岳会(KAC) 
例 会 報 告


2月例会報告  2024年2月18日(日) 天候:晴れ時々曇り

天王山(270.4m)から西山古道
 

参加者  L:湯浅、川村、梅井、大伴、守山、吉田、岡本、小澤の計8名


 天気予報では平年より気温が高くなり晴天で、翌日から前線が停滞して1週間雨ということだったので何とか実行できた。2年前の1月27日の例会で天王山へ行くと聞いた時、正直「ええ山岳会で天王山」と思った。吉田 類の「にっぽん百低山」の番組ですら愛宕山や金剛山などを取り上げているのにと今の自分の体力を考えずに戸惑いがあった。


 前回とは違ったコースと内容を心がけ、当初は阪急の西山天王山駅集合で小倉神社から小倉山に登り長岡京の奥山の西山古道を歩くことを考えた。ところが集会で年間計画で「天王山」となっているのにそれを外すのはとの意見があり、その後集合場所はJRにして欲しいとの要望もあり今回のルートとなった。それならば歴史的な所をゆっくり見学しながら歩くことを考えてコースタイムもゆったり目にしたが、結果的に1時間も速くなった。
 
 前置きが長くなったが、結局JR山崎駅に来られる方が欠席となり残りの方々は亀岡から車で乗り合わせて来られた。私はJRで山崎まで行き集合予定の9:30に駅から歩き、登山口手前のTimesで皆様と合流した。車組は早く来られていたようで待ちくたびれた様子だった。

 
 登山口から急坂を十分ほど登り宝積寺に着きトイレ休憩をし、本日の現地案内と二万五千分の一の地形図を配布した。
 
 気がつくとメンバーはこの寺の三重塔(国重文)や十七烈士塔を素通りで本堂へ向かっていて、御朱印をもらう人を待っている間に防寒服を脱いだりした。

 青木葉谷展望広場で小休止し、三川合流を見下ろし「あべのハルカス」は見えなかったが、樟葉タワーや大阪京橋の高層ビル群、左手に円やかな生駒山を見ることができた。

 
 ここからピッチが上がり次の秀吉が旗を立てた松や展望台、天王山合戦を描いた陶板画、酒解神社の大鳥居のある一帯でコースタイムより10分速くなった。
 
 元々麓にあった山崎天王社が中世になって油座の本拠地として勢力を増した離宮八幡宮に押され、鎌倉時代には山上に移され山の名前も山崎山から天王山に改称され、秀吉の頃には「天下分け目の天王山」になった。明治になって酒解神社となったが現在はやや荒廃している。

 
 ここでゆっくりと陶板画などをみて歴史を偲ぶ予定だったが頂上へ向かい、途中ミツマタの木が数本あり岡本氏の説明ではもうすぐ開花ということだった。

 頂上には11時に着いたが記念写真を撮っただけでさらに北へ向かい20分速くなり11時50分に小倉神社・柳谷の分岐で昼食となった。

 ここで1時間も速くなりテーブルとベンチのあるところでゆっくりする予定が先客があり、道を挟んだ両側のベンチに分かれて休み多くの登山者を見送った。ここからは時間をつぶす所もなく加えて行き交う人々もなくなり、一路柳谷との分岐への道路へと下った。

 
 左へ行けば柳谷、右へ行けば奥海印寺という舗装道路に出たが右折れし両側によく手入れされた竹藪が続き、「もうすぐ良い筍がでる」といいながら快調に歩いた。
 
 京都縦貫道を潜り奥海印寺のバス停に着いたが、バスは2時からしか運行されず1時間以上待たなければならなかった。もう少し歩き海印寺のバス停に1時に着き1時12分のバスに乗ることになったが、「乗る方式や料金はいくらかなど」大変だった。JR長岡京駅に1時30分頃に到着し、ここで解散となった。いつもながら写真は岡本、川村両氏が提供してくださりこの原稿ができました。心より感謝しています。

<<コースタイム>>
JR山崎 9:30⇒Times 9:35<全員合流>⇒登山道入口 9:40⇒宝積寺 9:50⇒青木葉谷展望広場 10:10⇒旗立松、展望台、酒解神社鳥居、合戦の陶板画 10:40⇒頂上への近道、十七烈士の墓⇒頂上 270m11:00〜11:10⇒十方山への分岐 11:30⇒小倉神社・柳谷の分岐 11:50<昼食>⇒柳谷への林道 12:30⇒海印寺バス停 13:00、バス13:12⇒JR長岡京13:30、解散
歩行時間3時間30分、歩行距離約6km。次回は柳谷観音を通るコースを考えます。

記:湯浅